14. 茨城県つくば市上横場「鈴木農園」

鈴木聡さん(藍農家)が語る 藍と農業の魅力

古くから民衆に愛されてきた藍染の文化。つくばの地でこの原料を作ろうと奮闘する藍農家の鈴木さんに、藍の魅力とこれからの展望について聞いてきました! (聞き手/取材班・横井沙衣子)

人物紹介

鈴木すずきさとしさん(鈴木農園経営者)

大学卒業後に農業資材の販売部門に就職するも、幼い頃の農業体験での楽しい思い出が忘れられず、半年後には農業法人への転職を決意。5年ほど野菜の生産から加工・販売まで携わる中で農業の難しさを実感し、挫折。農業大学に入り直した後、別の大学院に移って農業やインターネットについて勉強を始めるが、そこで出会った先生に誘われ、中退してNPO法人に就職。その後その先生が衆議院議員選挙に出馬したため、選挙の手伝いや公設秘書として働くなど、紆余曲折を経て、最終的に再び農家を志し、2012年につくばで畑を借りて独立した。3年前に藍と出会い、その魅力に惹かれ独学で藍の栽培法を模索中。

取材班

まずは農業を始めるまでの経緯を教えてください。

鈴木さん

大学は法学部でしたが、幼い頃から自然の中で遊ぶことが好きで、農業にも興味があったので、ホームセンターの農業資材を販売する部門に就職しました。でも農業をやりたい思いが強かったので、そこは半年で辞めて、つくば市の農業法人に就職し5年ほど働きました。ただ、その農業法人ではちゃんと利益を出す仕組みができてなかったので、ほとんど売れず、農業は難しいと挫折しました。

取材班

最初は挫折からのスタートだったのですね。農業に興味を持ったきっかけは何だったのですか?

鈴木さん

小学生の時の芋ほり体験がとても楽しかったことを覚えていたのです。自然の中で遊ぶのも好きだったので、農業をやりたいという思いはずっと心の中にありましたね。

取材班

素敵ですね! 農業法人を辞めた後は何をされていたのですか?

鈴木さん

農業法人で一度挫折しましたが、それでも思いは変わらなかったので、きちんと勉強するために東京農業大学に入学しました。2年ほど経ったころ、デジタルハリウッド大学院で、ECも学べるコースがあることを知りました。それが面白そうだったので、東京農業大学を途中で辞めて、デジタルハリウッド大学院に入学しました。結局そこも途中で辞めて、そこで教鞭を執っていた先生のNPO法人に入りました。そこでは、全国でネット販売をしている人たちを結び付けて勉強会を開いたりしていました。2年くらい働いていたら、その先生が民主党から出馬されることになったので、NPO法人を辞めて選挙を手伝いました。その結果、先生が当選したので、僕は公設秘書として働くことになりました。

取材班

本当に色んなことをされてきたのですね。

鈴木さん

そうですね(笑)。その選挙を通して、僕は政権交代を経験し、「やればできるんだ」という実感を得ました。また先生から「お前は自分で何かをしないとダメだ」と言われたこともあり、もう一度農業の世界に戻ることを決意しました。

取材班

ご出身はつくば市だったのですか?

鈴木さん

僕の出身は水戸市です。つくば市のみずほの村市場に果物を卸している親戚から、みずほの村市場がとても盛り上がっているという話を聞いていたので、その周りで農業をしたいと思いました。それでその近くの農家で、1年間研修をさせてもらいました。

取材班

何か補助金の制度は使いましたか?

鈴木さん

僕が就農したのが2012年なのですが、その時にちょうど、年間150万円もらえる制度(青年就農給付金)ができたので、それを利用しました。あと、経営体育成支援事業で、当時ハウスや機械を買うときに代金の半額を補助してくれる制度があったので、それも利用しました。

取材班

先ほど、ネット販売に興味を持ったと話されていましたが、現在もされているのですか?

鈴木さん

今はやっていないです。農業法人で働いていたときは、野菜を作っても売れなかったので、売り方を変えないといけないんじゃないかと思って、ネット販売に興味を持ちました。でも、実際に農業を始めると、日中に肉体労働をするのでネットをやる時間や体力が無くなっちゃって難しかったですね。

取材班

今はどこに出荷されているのですか?

鈴木さん

野菜は全てパルシステムに出荷しています。最初の頃は直売所にも出していたのですが、直売所は売れ残ったものを自分で持って帰ってこないといけないのです。折角作ったのに、また持って帰ってくるのがちょっと嫌だなと思いました。それに対して、パルシステムでは一日の出荷量が決まっていて、出荷した分は全て売れるので良いなと感じています。他には、今後、焼きトウモロコシを軒先で直売したり、蒅(すくも)を藍染作家さんに販売したりすることも考えています。
※パルシステム:パルシステム生活協同組合連合により運営される、生産者と消費者をつなぐ産直宅配サービスのこと

取材班

就農するときに人脈作りが重要だと思うのですが、どのようにされましたか?

鈴木さん

研修先から生産者部会を紹介してもらいました。そこからパルシステムに野菜を卸すことになり、人脈も広がっていきましたね。生産者部会では同じところに納品している農家が週に1回集まって、出荷調整の会議をします。その時に、「今、作物はどんな調子?」と聞くこともできるし、長年やっている人は色んな知識を持っているので、栽培法や土作りについて教えてもらうこともできました。今振り返ると、独立したばかりの頃は研修先の農家が機械や作業場を貸してくれて、土地や生産者部会も紹介してくれたので本当にありがたかったですね。あとは、市役所のイベントに参加するようになってから、出荷先や栽培作物が全く違う農家とも知り合うようになりました。

取材班

新規就農者にとって、サポートしてくれる農家さんたちの存在は大きいですね!

取材班

鈴木農園では、藍の栽培をしていると伺ったのですが、藍農家はとても珍しいですよね。どうして藍に興味を持ったのですか?

鈴木さん

僕の子どもが通っていた保育園で、藍染作家のお母さんに出会ったのです。その方から藍について色んな話を聞き、原料となる藍を栽培する農家が減っていることを知りました。そこで、「藍栽培は農業だから、僕にもできる!」と思って、タネを播き始めました。

取材班

つくば市に藍農家はいるのですか?

鈴木さん

この辺りではいないと思います。昔は、藍染をする紺屋という職業があったくらい、大衆文化として各地に根付いていたのですが、化学染料ができてからその文化が無くなってきてしまったのですよね。藍の産地として有名な徳島県は、行政が藍染や藍栽培のサポートを行っているようです。

取材班

では、栽培法はどのようにして勉強されたのですか?

鈴木さん

その藍染作家からお話を聞いたり、徳島の藍農家からzoomを通じてやり方を教えてもらったりしました。今年は1ha分作ってみたのですが、想定の1/5くらいしか採れませんでした。収穫のタイミングがよくわからなくて、収穫適期を逃してしまったのです。基本的には全て自分で調べて、手探りでやっていてわからないことだらけなので、歴史もあり、さらに行政からの支援も受けられる徳島県の藍農家は正直うらやましいです(笑)。

取材班

今は栽培法を模索しているところなのですね。藍はどういう形で販売するのですか?

鈴木さん

何人かの藍染作家がほしいと言ってくれているので、個別に販売する予定です。あとは、僕が藍栽培を始めてから、興味を持ってくれる知り合いも増えました。その中には絵を描いている人もいて、そういう人たち向けに絵画用染料も作ってみようかなと考えています。

取材班

藍の栽培と加工は全て手作業でやるのですか?

鈴木さん

収穫は大豆の収穫機を使いますが、それ以外は手作業ですね。なので、夏場だけは5~6人雇って作業しています。栽培・加工のスケジュールとしては、3月下旬にタネを播いて、4月に畑に定植します。6〜8月に収穫した葉を乾燥させて、9月から発酵開始。1月頃に発酵が終わります。この発酵後の葉を蒅(すくも)と呼ぶのですが、こうしてようやく販売することができるのです。

取材班

販売までにほぼ1年かかるのですね! 蒅(すくも)があればすぐに染めることができるのですか?

鈴木さん

藍染では、蒅(すくも)から発酵液を作って染めます。この液はとても繊細で、色んな微生物がバランス良く共存している状態を作ることが大切です。微生物は生き物なので、密閉した容器に入れると死んじゃったり、振動を加えると微生物のバランスが崩れてしまったりするので、移動はよくありません。発酵液は藍染を行う場所で藍染作家が作ることが多いです。

取材班

鈴木さんも藍染をされるのですか?

鈴木さん

コロナが落ち着いてきたら藍染のワークショップとかもできたら良いなと思っています。でも染料を作るまででもけっこう大変なので、蒅を作家さんに販売するのがメインになると思いますけどね。

取材班

鈴木さんが感じている藍の魅力は何ですか?

鈴木さん

畑では緑色だった葉が、乾燥させると青くなり、さらに藍染をするときれいな色に染まる。こうして植物が色に変化していくときの美しさはとても魅力的です。あと、藍を通じて新たな出会いが生まれ、輪が広がっていくところにも魅力を感じています。

取材班

藍を通じて新たな出会いが生まれているのですね! 今後の展望は何でしょうか?

鈴木さん

以前、東京で徳島の藍染作家の展示会が開催されていたので見に行ったら、外国の方がけっこう興味を持っていたのですよね。また、最近はファッション業界でも環境への意識が高まっていますが、藍染の液は畑の肥料にもなるくらい環境に優しいものなのです。なので、文化的な面、環境的な面から藍の魅力や良さを発信していけるのではと思っています。

取材班

藍にはたくさんの可能性を感じますね!

取材班

今後の夢や目標は何ですか?

鈴木さん

藍の染料作りを農業として大切に育てていきたいですし、食べ物を作る農業でも、ハウス栽培とか果樹栽培とか、できるかわからないけどやってみたいなと思うことはたくさんあります(笑)。また、今の子どもたちが大きくなったときに、今の自分では想像もできないような農業を作っていってくれるかもしれない。そういうのを見てみたいし、自分もやってみたいという思いもありますね。

取材班

面白そうなことや誰もやっていないことにどんどん挑戦していきたいという思いが伝わってきますね。鈴木さんが大切にされている軸は何ですか?

鈴木さん

農業と家族が自分にとっての軸ですね。農業を通して藍にも出会えたし、新しい人との出会いも広がっていくのを感じています。なので、農業を軸にして新しいことに挑戦していきたいですね。

取材班

農業をやっていて辞めたいと思ったことはないんですか?

鈴木さん

ありますよ(笑)。先のこともわからないし、会社勤めとは違って自分でやっていかないといけないから、仕事のことを全て忘れて休みを楽しむなんてできないです。生きるためにはお金が必要なので、売り先の選択を失敗して辞めていった友達も何人もいます。でも、自分がやりたいことに挑戦できたり、新たな出会いがあったり、大変な中にも面白さがあるから続けられてるのだと思います。あと、学校を卒業してすぐに就農すると他の職業がうらやましく見えて辞めてしまう人がいるという話も聞いたことがありますが、僕は社会に出て色々と見たからこそ農業の良さを感じているのかもしれないですね。

取材班

なるほど、色んな仕事を見てきたからこそ農業の魅力がわかるのですね。

取材班

最後に、ワニナルプロジェクトでは『農業×クリエイティブ』で新規就農や農業を盛り上げていきたいと考えています。鈴木さんは「クリエイティブ」と聞くとどんなイメージを持ちますか。

鈴木さん

かっこいいというイメージがありますが、ゼロから新しいものを生み出す泥臭い作業というイメージもあります。

鈴木さん貴重なお話を聞かせてくださりありがとうございました! 鈴木さんが話す姿から藍や農業の魅力がたくさん伝わってきました!

ファームプロダクツファイル

①作っている代表作物

●藍

●白菜

●キャベツ

●ホウレンソウ

●ネギ

●パクチー

●インゲン

●モロヘイヤ

藍染の原料の蒅(すくも)
白菜

②藍について

●種

徳島で引き継がれてきた品種の種から栽培を始めたが、2年目からは種を自分で採取して増やしている。これを継続することで、つくばに適した藍に変化することが期待される。

●収穫と乾燥 

収穫は大豆収穫機を使用。みずほの村市場でビニールハウスを借りて葉の乾燥を行う。

●発酵について 

乾燥させた葉と水で120日間発酵させる。週に1回、葉に水を打ち、酸素と触れさせ万遍なく発酵させるため、上下の切り返しを行う。冬場の作業だが、70℃くらいの高温となるため作業部屋には湯気が立ち上る。部屋いっぱいだった葉が、発酵が終わる頃にはとても小さくなっており、見た目は土のようになる。
冷やすと発酵が止まるため、作業部屋には熱線と畳を敷き、莚(むしろ)と布団で藍をくるんで温度を下げないようにする。

●発酵液について  

木炭から取った灰汁・貝灰・ふすまを熱湯と混ぜて発酵液を作る。できるまでの約10日間、毎日かき混ぜるなどの管理が必要。

●染色について 

藍は植物性のタンパク質(綿や麻など)の染色に向いている。シルクや革、材木への染色はやりにくいが、できないことはない。化学繊維は染められない。

鈴木さんの首に巻かれているのは藍染された手拭い

藍栽培の仕方から歴史、染色のことまで、質問したらなんでも答えてくださいました! 藍への熱意と探求心がすごくて記事に書ききれないこともたくさんありました。古くから愛されてきた藍の魅力が、今を生きる多くの人に伝わってほしいと思います!

藍の種まき作業に参加する元Jリーガー近藤直也

アオニサイファーム代表の青木真矢と元Jリーガー近藤直也との「ワニナルプロジェクト」では、藍の栽培から蒅(すくも)づくりまでの情報発信を鈴木さんと共に行い、より多くの方に「筑波藍」の魅力を伝える活動を行っていきます。

この記事を書いた人

横井 沙衣子 YOKOI SAEKO

茨城県内の大学に通う大学生。小学生のとき農家さんの家で食べたレタスが忘れられず、茨城で農学を学び始める。普段は原付にまたがり、田んぼや蓮田を見て癒されている。環境に優しい農業を研究しながら、「実際の農家の現状をもっと知りたい」と思い、「ワニナルプロジェクト取材班」に参加。自分たちの記事を読んで、色んな人が農業に興味を持ってもらいたいと願っている。