12. 茨城県つくば市西高野「HATAKEカンパニー」

木村誠さん(ベビーリーフ農家)が期待に応えるために努力し続けた結果と今後の新たな目標

今なお成長を続ける「HATAKEカンパニー」の経営者木村さんに、長年農業に携わりながら感じた喜びや苦労、さらに今後の目標などを聞いてきました!(聞き手/取材班・横井沙衣子)

人物紹介

木村きむらまことさん(HATAKEカンパニー経営者)

大学卒業後つくば市内の会社に就職。営業先の農家を何軒も回りながら農業経営に興味を持つ。栽培法にこだわる農家たちが安定した経営を行っているのを目の当たりにし、農家になることを決意。2年半後に会社を辞め、つくばでベビーリーフの有機栽培を始める。全くの素人から農業の世界に飛び込み苦労しながらも24年が経った。今では年間売上げ10億円を超えるHATAKEカンパニーの社長として日本中の食卓に野菜を届けている。

取材班

就農する前は何をされていたのですか?

木村さん

つくば市の会社で働いていました。岩石から抽出したミネラル分の効果を研究している先生が始めた会社です。毎年同じ作物を作り続けると、土壌中の肥料やミネラルが減少し連作障害が起こるので、肥料だけではなくミネラルを補給する必要があります。そこで先生が農作物を吸収しやすいミネラル液を開発したので、入社してからはその商品を持って農家を回り営業していました。」
※連作障害:畑地で同一作物を連続して作付けすると、作物の生育が悪くなり、収量が減少すること。(コトバンク参照)

取材班

営業活動をしながら農業に触れていったような感じですか?

木村さん

そうですね。僕は農業の知識なんて一切なかったので、先生に教わったことを全くその通り話してやって見せて、農家に納得してもらう。そうやって営業していましたね。また、農業経験のない僕が農家にアドバイスをすると「そんなこと言うなら手伝ってみろ」って言われるのです。当時のお客さんは、キュウリ農家が多かったので、キュウリに関しては一通りの作業をやりましたね。なので、自分で農業を始めるときはキュウリをやろうと思っていました。

取材班

そうだったのですか!いつ頃から自分で農業をやろうと思ったのですか?

木村さん

親が自営業をやっていた影響で、昔から「自分で事業をやりたい」という想いを強く持っていたので農業に対しても自営業という視点で見ていました。ミネラルに興味を持つ人って篤農家と呼ばれる特殊な人が多く、土作りにこだわっていて、経営も安定しているすごい農家が多くてそれで、僕も自分で農業をやってみたいなと思いました。」
※篤農家(とくのうか):農業に携わり、その研究・奨励に熱心な人。(コトバンクより引用)

取材班

具体的に就農を決意するきっかけになったことは何かありましたか?

木村さん

周りにいる農家に聞くと、葉物野菜で月々安定した収入を得た方が良いとアドバイスをもらっていました。それでルッコラをやっている農家の畑を見に行きました。そこでは毎日80kgのルッコラを出荷していて、当時の単価は1200円/kgだったので、1年で3000万円くらいの売り上げになるじゃないですか。これを、その農家とパート2人の3人で回していると聞いたときに「これはすごい!農業やろう!」と思いました(笑)。

取材班

葉物の方が安定するのですね。

木村さん

一概には言えないと思いますが、キュウリのような果菜類は旬があって、値段が変動しますし、出荷できる時期は収入があるけど、できない時期や失敗したら収入がありません。加えて毎年良いものが作れるという保証もないので、サラリーマンで毎月給料をもらっていた身としては、その形だとリスクが大きいなと感じました。それに比べて葉物野菜は、1年中収穫ができて失敗してもすぐに挽回できるので、周りの人からは勧められましたね。特に当時は新規就農者向けの補助金も無かったし、準備資金はアルバイトを掛持ちして貯めている状況だったから、失敗を挽回しやすい葉物野菜を選びました。

取材班

就農当初から有機農業をやることは決めていたそうですね。

木村さん

先生から「野菜も人間と同じで、ミネラルを使って健全な野菜を作れば病気に強い体になる。そういう野菜を作るためには、土作りをしっかりやって農薬に頼らない農業をやることが大切。」ということを教わっていたので、有機農業をやろうと決めていましたね。

取材班

就農にあたって苦労されたことは何ですか?

木村さん

農地の取得ですね。当時、市役所の農業課で課長をやっていた方が一緒に何軒かの農家を回ってくれたのですが、全て断られました。結局、その課長の親戚からなんとか土地を借りることができました。そこで農業をやり始めると、周りの人から「この農地を無料で貸すから使ってくれ」と言われるようになったのですが、その土地を見に行くと竹が生えているような場所だったのです。それでも一生懸命きれいにして、野菜を作れるくらいになった途端、「返して」って言われる。当時はそんなことたくさんありました(笑)。今は市役所が間に入ってくれるので助かります。

取材班

ベビーリーフを始めた経緯を教えてください。

木村さん

カット野菜会社の知り合いから、欧米で流行りのベビーリーフは輸入すると鮮度が落ちるので、国内で生産・販売を実現させようとする取り組みがあることを聞きました。当時はベビーリーフという言葉すら知らなかったのですが、知り合いの農家たちに話をしてみたら、みんなでやってみようと言ってくれました。さらに、栽培周期の早い作物だから無農薬でも作れるかもしれないと思って、茨城で7〜8人、千葉で5〜6人の仲間を集めて始めることになりました。カット野菜会社が、ベビーリーフに興味のあるバイヤーを集めて、オーストラリアの現場を見に行くツアーを企画していたので、僕も参加させてもらいました。国内で栽培している事例がまだなかったので、そのツアーで見てきたことを仲間に伝えて、具体的な栽培方法を考え始めましたね。6月の出荷に向けて、考えて・やってみて・失敗しての繰り返しでしたね。

取材班

栽培方法は自分たちで試行錯誤していかれたのですね。

木村さん

はい。一番の問題は、収穫が手作業なのですごく時間がかかったことでした。特に最初は、種の播き方が荒かったり採り方が丁寧すぎたりして、1時間に1kg採れたら良いくらいのペースでしたね。いよいよ出荷当日、カット野菜会社がお昼に野菜を受け取りに来るので、午前中に各農家で収穫したものを1ヵ所に集めました。予定では80kgを出荷することになっていましたが、実際は20kgしか集まらず、初日から取引先に怒鳴られちゃいましたね。回収時間を遅らせてもらって午後も収穫しましたが、結局80kgに届きませんでした。一緒に始めた仲間はベビーリーフだけをやっているわけじゃなかったので、こんなに手間がかかりすぎる野菜はできないと辞めてしまう人もいました。また、収穫までの期間が短いから無農薬でできると思っていましたが、実際にやってみると虫がついたので、防虫ネットをつけてなかったところは虫にたくさん食われてしまい選別が大変でしたね。さらに、病気もたくさん出たりして、最初は「ちゃんと作る」ということが難しかったです。初めの3年間は記憶にないくらい「とにかく収穫しないといけない!」と思って毎日必死にやっていました。

取材班

最初は苦労されることが多かったのですね。安定するまでどのくらい掛かりましたか?

木村さん

収穫に関しては、機械化する必要性をずっと感じていました。そんなとき、静岡でお茶の収穫機を改良してベビーリーフに使えるものができたのですが、その機械を使えば1時間で50〜60kg収穫できると知り「これを使えば安定してやっていける!」と思いましたね。ただ、今でも夏は虫や病気が多く、冬は寒さで成長が遅くて売上げが落ちる時期はあるので、安定した経営ができているとは言えないです。それでも、3年目からはそれを克服するために、栽培面積や一緒に生産する仲間を増やすという方向にも目を向けられるようになりました。

当時、何を作ったら良いか悩んでいる農家がけっこういたので、一緒にやってみないかと紹介する窓口のような役割を僕がやっていました。そのころから収穫物の回収・情報共有・資材をまとめて買ってみんなで安く使うとか、そういう業務も僕がやっていたので、今、規模が大きくなりましたけどやっていることは最初から何も変わっていないですね。僕自身が生産者なので、この手間が省けたら良いなとか、資材を安く使いたいなとか、そういった気持ちがわかるのです。じゃあみんなでそれを改善して、一緒にやっていきましょうという形でずっとやってきましたね。

取材班

農業を始めるのにつくばを選んだ理由はありますか?

木村さん

まず1つ目は、就農前に勤めていた会社がつくばにあったからです。2つ目は、農村と都市が一体になっている街だと感じ、ここで農業を始めたいと思いました。当時は農業を家業として継ぐ人が多かったので、周りからは不思議な目で見られました。でも当時の普及センターの担当の方が「これからはこういう形じゃないと農業が衰退していく」と言って、僕が相談に行けるように色んな人に根回しをしてくれました。出会った人に助けられて今までやって来れたと感じています。

取材班

人脈ってすごく大切なのですね。

取材班

木村さんが以前、他の取材を受けられた際、「国際農産物商談会」が一番売り先を拡大する機会になったと話されていたのですが、これはどういうものでしょうか?

木村さん

これは全農が始めた全国の商談会で、年に1回開催されています。農家が自分のブースを出して、全国のバイヤーが集まって商談をするという形です。他のブースは米や肉の試食会を派手にやっていたのに対し、僕はベビーリーフしかありませんでしたが3回、4回目までは、毎年僕のところに一番人が集まっていました。それくらいベビーリーフは珍しいものだったのです。今、一番取引を行っている会社とはその商談会で出会いましたね。

取材班

そういった場所で取引先が増えると、出荷量も増えると思いますがどうやって対応されたのですか?

木村さん

春はたくさん収穫できるので、取引先を増やすのは春からにしています。また、「欲しい」と言われたらそれはチャンスなので、他のお客さんをちょっと抑えて新規の注文を優先するというように、状況次第で優先順位を決めて徐々に取引先を増やしていきます。ただし、調子に乗って取引先を増やしていくと収量が足りなくて欠品し、一瞬で信頼関係が崩れて取引が終わることもあります。なので、契約を結ぶことよりもそれを継続することの方がもっと大変だと感じています。

取材班

今やHATAKEカンパニーはとても大きな規模になり、グループ経営もされていますが、事業を拡大していくモチベーションは何かありますか?

木村さん

期待に応えたいということですかね。今まで、これくらいで良いかなと思うことは何回かありました。例えば、売上げが1億円を超えたときは家族経営くらいで抑えておこうかなと思いました。でもお客さんからもっと欲しいという声を頂いたので、じゃあもっとやろうと決めました。3億円を超えたのはちょうど東日本大震災が起きたときだったので、農家を続けられるかどうかという状況でしたが、売れるかわからないけどとりあえず野菜は作り続けようと決めて作っていました。それで収穫した野菜が検査に合格した途端、色んなところから注文が殺到しました。これだけ欲しいと言ってくれるならもっと規模拡大していこうとなりましたね。普通の規模の農家だと急に100kg出荷してほしいと頼まれても対応できないですが、うちはある程度規模がありグループ経営もしているのでそういう要望にも応えられるようになりました。

取材班

これからの目標は何かありますか?

木村さん

僕は今55歳なので,10年後にはここの経営を他の人に任せて,僕自身はもう一度1人の生産者に戻りたいです。でも夫婦2人だけでバリバリできる年ではないので、若い人を何人か集めて小さい規模の農場をやりたいですね

取材班

その時は何を作りたいですか?

木村さん

10年後なのでまだわかりませんが、有機は僕の原点なのでそこは外せないですね。売り先が求めるものを作りながら、他の有機の生産者と一緒に有機作物を広める一員になりたいです。

取材班

もう一度生産者に戻りたいと思わせるほど農業には魅力があるのですね。

取材班

木村さんが感じる農業のやりがいは何ですか?

木村さん

一番はやっぱり、自分の野菜を食べて美味しいって言ってもらえることですよね。売上げを達成することも嬉しいですけど一瞬なのでね。食べて喜んでもらえることの方が喜びは大きいです。あとは、従業員がやりがいを持ってやっている姿を見るのも嬉しいです。最近は特に生産部門を担当してくれる子たちは、見てわかるくらいやりがいを持って楽しく一生懸命に仕事をしてくれています。それを感じれることがすごく幸せです。農業ってもちろんいつも苦しいことがあります。でも僕は農業を楽しいと思ってやっているから、そういう気持ちを従業員みんなが共有して楽しんで働くことができたら最高ですよね。結果的に辞める人も減るだろうし、働く人みんながやって良かったと思えるようになるので。

取材班

木村さんが大切にしている軸はなんですか?

木村さん

感謝を忘れないことですね。辞めていく人もいますが、今までよくやってくれていたなと思うと、本当に感謝しかないですよね。だから僕も人から感謝される人になりたいなと思って生きています。「木村と付き合って良かった」と言ってもらえるようになりたいと思うとすごく頑張れますね。だから僕にとっては感謝が全てです。

取材班

ものすごく感動しました。人との関わりを大切にされていることが伝わってきます。

取材班

これから新規で就農する人に向けて何かアドバイスをお願いします。

木村さん

農業は可能性やチャンスがたくさんある業界ですが、「無理はするな」っていつも言っています。成功事例ばかり見ていると変に自信がついてしまって、結局失敗して農業を辞めていく人ってけっこういるのですよね。だから、独立することが全てと思わず、まずは法人やグループに所属しても良いので、しっかりシミュレーションすることが大切だと思います。1人で会社を興しても取引って人の繋がりなので、人とのつながりをきちんと結べるようになることが必要です。あとは、なるべくお金をかけず、借金をしすぎずに始めることも大切です。種・肥料・人件費など、出荷ができてもできなくても払わないといけないものがあるので、お金はどんどんなくなります。だから選り好みせず親や知り合いから土地をもらえるならそこを使った方が良い。農業は生半可な気持ちではできないけど、本気でやるならできないことはないですよ。

取材班

最後に、ワニナルプロジェクトでは『農業×クリエイティブ』で新規就農や農業を盛り上げていきたいと考えています。木村さんは「クリエイティブ」って聞くとどんなイメージを持ちますか?

木村さん

この質問を見たときに、会社自体がクリエイティブって思われるようになりたいと思いました。うちの会社も経営が苦しい時を乗り越えて残った人で新しく組織図を作り直しました。これがただの絵で終わらないように、どこから見ても良い会社だなと言えるようにしたいです。あと10年で、農業の会社として「こういう会社を目指したい」と思われる、そんな会社を作りたいと思っています。

木村さん貴重なお話を聞かせて下さりありがとうございました!心から農業を楽しいと思うことや、従業員をはじめとする関わりを持った全ての人を大切にされている暖かい人柄が伝わってきました!

ファームプロダクツファイル

①作っている代表作物

●ベビーリーフ

●レタスミックス

●葉物野菜

●ハーブ

●根菜

②ベビーリーフの袋詰め現場見学

自分は人間関係に疲れて、自分に出来る仕事がないって思っていた時に農業を見つけた。自分でもできたから、やりたいならやってみてほしい。

  • 洗わずに袋に詰めると「生鮮野菜」、洗って賞味期限をつけたら「カット野菜」となるので、HATAKEカンパニーでは洗わずに袋詰めをする。(※収穫したベビーリーフを2回選別して異物混入が起こらないようしっかりチェックしていますが、食べる前に水で洗うと◎)
  • 1人が1時間に多くのパックを作るほどコストが下がる。そこでパック詰めの機械を導入している。(木村社長いわくこれが一番の稼ぎ頭!)人がやると1時間100パック、機械がやると1時間1000パックできる。毎日フル稼働で4〜5万パック出荷している。
  • HATAKEカンパニーの強みは、なるべく安く販売すること、お客さんが欲しがるパッケージに対応すること。多少手間が増えてもできる限りお客さんの要望に応える!

木村さんは、「1農家がここまでのシステムをそろえるのは大変だから」と、他の農家の袋詰めや出荷を請け負っています。そして、「1つの仕事ができなくても他の仕事をやれば輝くかもしれない。ポジションチェンジは自分の新しい可能性を見つけるチャンスだよ。」と言いながら、正社員からパートまで1人1人とよく対話しながら共に仕事をしています。そのような姿を見ながら、HATAKEカンパニーはこれからもたくさんの笑顔を作るクリエイティブな会社として成長していくことを感じました!

この記事を書いた人

横井 沙衣子 YOKOI SAEKO

茨城県内の大学に通う大学生。小学生のとき農家さんの家で食べたレタスが忘れられず、茨城で農学を学び始める。普段は原付にまたがり、田んぼや蓮田を見て癒されている。環境に優しい農業を研究しながら、「実際の農家の現状をもっと知りたい」と思い、「ワニナルプロジェクト取材班」に参加。自分たちの記事を読んで、色んな人が農業に興味を持ってもらいたいと願っている。